スポンサード リンク

スポンサード リンク

ジェロのおばあちゃんは日本人

1981年ペンシルバニア州のピッツバーグに生まれる。ピッツバーグはアメリカで最も住みやすい街の一つに数えられています。母の母、つまりジェロの祖母が日本人で、戦後の駐留米軍の軍人だったアメリカ人と結婚してジェロの母を産んでアメリカに渡りました。ジェロは大好きだったおばあちゃんから日本のことをいつも聞かされていました。日本食も好きで、納豆や梅干も食べます。箸も上手に使います。祖母と母の会話は日本語。祖母が日本の演歌をよく聞いていました。美空ひばりの歌を聞いて日本を偲んでいました。そしてジェロもおばあちゃんの好きな演歌を歌うようになりました。ジェロが6歳の時に美空ひばりの「越後獅子」を歌っています。そして祖母の友人が日本から送ってくれる「紅白歌合戦」のテープを観るのが好きで、小林幸子の華麗な舞台衣装に感動します。そしていつしか自分演歌の歌手になって、あの「紅白歌合戦」の舞台に立ちたいと思うようになりました。そして大好きなおばあちゃんにその気持ちを打ち明けていました。

スポンサード リンク

ジェロはカラオケの常連だった

ジェロの海雪は発売当日だけで8万3千枚を出荷。オリコンのデイリーチャートにおいて初登場16位を記録しました。そのジェロですが、大好きなおばあちゃんの影響で演歌が好きで、日本語も話せるようになっていました。そしてジェロは高校生による日本語スピーチコンテストで、アメリカ代表として初めて祖母の故郷日本の地を踏みました。スピーチタイトルは「ぼくのおばあちゃん」でした。やがてピッツバーグ大学の情報科学を卒業したジェロは、2003年演歌歌手を目指して日本に来ました。日本で最初に就職したのが和歌山県での英会話学校の教師です。その英会話学校では日本語で話してはいけない決まりでジェロはストレスを抱え込みます。さらに驚いたのは、当然知っていると思っていた演歌のことを日本の若者が知らないことでした。いろいろななれない生活のストレスを発散するところがカラオケボックスでした。週に3回もカラオケに通っているうちにジェロのことが演歌がうまい外人がいると評判になりました。

ジェロが新曲「試練」を発表しました。

ジェロが「海雪」以来の新曲「試練」を発表しました。試練は人生生きることそのものが試練だと謳っています。まさにその通りですね。ジェロが歌手になるスタートがNHKのど自慢に出場したことです。その予選会でジェロは極度の緊張で残念ながらカネ一つ。あきらめていたら本戦に出場できることが決まりました。そのNHKのど自慢の本番でカネを連打されて合格しました。早速電話でピッツバーグのおばあちゃんに喜びを伝えるジェロです。しかし大好きなおばあちゃんはジェロの舞台を見ることなく78歳で亡くなりました。ジェロは絶対歌手になるとおばあちゃんに誓います。それからのジェロは全国各地ののど自慢に出場して数々の入賞を果たします。そんなジェロ独特の演歌歌手を目指した活動をを続けていて、2005年に大阪のカラオケ大会で優勝し、それがレコード会社のスカウトの目にとまります。それからボイストレーニングを2年間行って、ついに2008年2月に海雪で念願だった演歌歌手としてデビューをしました。デビューする前に海雪の舞台の新潟県の出雲崎の海岸にジェロは立ちました。荒波のしぶきを浴びながらジェロはどんな感慨を抱いたのでしょうか。今の日本の若者以上に演歌の心をわかるジェロ。夢に描いた紅白歌合戦に出場できるでしょうか?

Copyright © 2008 ジェロの海雪しびれます!